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東京高等裁判所 昭和46年(ネ)2272号 判決 1972年9月04日

控訴人(原審第六七三号事件原告、第三一八号事件被告) 小林今朝治

右訴訟代理人弁護士 堀内左馬太

同 牧野寿太郎

被控訴人(原審第六七三号事件被告) 野地健一

被控訴人(原審第六七三号事件被告、第三一八号事件原告) 株式会社 綿為商店

右代表者代表取締役 野地健一

右両名訴訟代理人弁護士 泉博

主文

原判決を取り消す。

控訴人に対し、被控訴人野地健一は、原判決添付物件目録第一記載の土地につき、被控訴人株式会社綿為商店は、同目録第二記載の建物につき、それぞれ所有権移転登記手続をせよ。

被控訴人株式会社の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人ら代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

控訴代理人は、次のとおり述べた。

仮りに原判決添付物件目録第一記載の土地(以下本件土地という。)の入手及び同目録第二記載の建物(以下本件建物という。)の建築当時確定的に贈与により控訴人に所有権が移転されたと認められないとしても、被控訴人らは、控訴人に対し、昭和三八年五月より一〇年間、控訴人が被控訴会社に真面目に勤めることを条件に本件土地、建物を贈与する旨の契約が右両当事者間において成立した。その後控訴人は、昭和四四年三月被控訴会社を退職し、前記条件は成就しなかったけれども、右退職は、被控訴人ら側の一方的解雇に基づくもので、被控訴人らが故意にその条件の成就を妨げたものであるから、控訴人としては、その条件が成就したものとみなすことができる。従って控訴人は、右条件成就により本件土地建物の所有権を取得した。よって右条件成就による所有権取得を原因として移転登記手続を求めるものである。なお、控訴人の解雇については納得しうる理由が見出せず、控訴人には全く帰責原因のないものである。

誓約書は、仮りに有効に成立したものとしても、控訴人は、右誓約事項に違反していないから、右誓約違反を理由に退職、従って控訴人が自ら条件の不成就を招いたものとなすをえない。

被控訴人ら代理人は、次のとおり述べた。

一、本件土地、建物について停止条件付贈与契約がなされたこと及び被控訴人らが条件の成就を故意に妨げたことは争う。

二、被控訴人野地が「将来真面目に勤めれば、のれん分けをするか、家をやろう。」という趣旨のことを言ったのは、控訴人を励ますと同時にそれ位のことをしてやる気持があることを表明したにすぎず、「一〇年位真面目に勤めること」を確定的な停止条件としたものではない。控訴人に家を贈与される可能性があったことと法律上の停止条件贈与契約があったこととは、あくまで峻別されるべきことがらである。しかも被控訴会社に二〇年以上勤務している者は他にもあるが、家屋を贈与されたものはなく、控訴人に家をやるということは特例に属する。

三、控訴人は、被控訴人野地からやめろといわれたのに対し、自らの非があるためこれに同意して翌日から出勤しなかったのであるから、被控訴人らにおいて条件の成就を妨げたというには当らない。

誓約書は、控訴人の前途を案じる人々が集まって作成したものである。それは、単に控訴人が賭け麻雀をすることを厳禁することのみに目的があったのではなく、そのようなことをすれば、負債を処理するために被控訴会社の金を横領せざるをえなくなり、仕事にも身が入らず、やがて破滅してしまうことが具体的に予測されたからこそ作成されたのである。被控訴人野地は、かねがね取引先から控訴人の不行跡を耳にし、現に従業員の事故の際(昭和四四年三月九日)、控訴人の行方を探したところ、例によって錦糸町の麻雀クラブにおり、翌日は被控訴人に詫びも入れず、裏口からこっそり店に入って外交販売のため商品を持ち出したことから、控訴人の前途のためにも厳しくいましめたのであって、明日からやめてもらうということは何ら信義の原則に反しない。六六八万一、三一九円もの着服横領の疑いがあり、そのことについて当時はもとより、今日に至るまで釈明をしない者に対し、また前記のように親戚知人が一堂に会して厳禁した賭け麻雀を性こりもなく勤務中に行う者に対し、退職を勧告することが信義則に反しないことは明らかである。

証拠≪省略≫

理由

一、被控訴人野地は、製綿及び布団製造販売を業としていたが、昭和二八年一月六日株式会社組織とするため被控訴会社を設立したこと、控訴人が昭和二六年四月二〇日、被控訴人の住込み店員として雇傭されたことは、当事者間に争いがない。そして≪証拠省略≫によれば、控訴人は、昭和二六年中学校を卒業して被控訴人の経営する商店に勤めるに際して、一〇年間の年季奉公をすれば、暖簾分けをする約定で雇傭されたこと、従って給料の定めもなく、当初の頃は、毎月二回の休暇に小遣いとして五〇〇円程度を与えられ、その後も物価の上昇につれ少しづつ増額されるにすぎなかったことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫なお、控訴人は、右雇傭の際、暖簾分けのほか、控訴人の住居を贈与する約定もあり、そのいずれにするかは年季明けに協議することになっていた旨主張し、≪証拠省略≫中には右主張にそう趣旨の供述があるが、控訴人本人の暖簾分けだけで、土地、建物の話はなかった旨の供述と対比するときは、措信し難く、他に右主張を認めるに足る証拠はない。

二、≪証拠省略≫を総合すれば、

(1)  控訴人は、被控訴人野地の商店及び被控訴会社に比較的真面目に一〇年の年季奉公をしたこと、右年季が明けた頃控訴人は結婚の年ごろとなっていたので被控訴人野地は、控訴人に嫁を貰ってやりたいと考え、控訴人に対し、今後も被控訴会社に勤務を継続するのであれば、被控訴人野地が買受けて所有する土地に家を建て、右家屋を敷地ともやってもよいし、又暖簾分けをしてもよい旨を申し出たところ、控訴人は、被控訴会社に勤続することを希望し、家を建ててほしい旨申し出たこと

(2)  被控訴人野地は、自ら媒酌人となって、昭和三六年秋頃控訴人を結婚させたのであるが、その妻光子の父石井喜雄に結婚の同意を求めるに際して、控訴人に家を建ててやり、将来真面目に勤めてくれれば、土地と建物をやるつもりであると申し入れたこと

(3)  被控訴人野地は、昭和三八年二月頃、同人所有の土地の一部を分筆して本件土地として、これを埋め立て、同地上に本件建物を建築したこと、その際被控訴人野地は、控訴人にどの位の家がほしいか書いてみろと言ったので、控訴人は、友人の設計士に依頼して三部屋の家の設計図を作成して、同被控訴人に提出してこれに基づいて建築するよう依頼したこと、本件建物は、予算の都合で右設計図から一部屋減らして建築されたこと、なお、建築の途中で、大工から控訴人に対し、予算が不足する旨を同被控訴人に言ったところ、同被控訴人から控訴人が一生住む家だから同人と相談してくれ、といわれた旨の申し出があったので、控訴人は、前記石井喜雄らから二〇万円を借り入れ、建具、畳、造作等の費用を負担したこと

(4)  被控訴人野地は、控訴人が入社以来二〇年、家を建ててから一〇年間真面目に勤務したら、本件土地、建物を控訴人に贈与するつもりであり、控訴人にも本件建物建築完成当時その旨を話し、控訴人も納得したこと、即ち、同年五月本件建物の建築が完成して入居した頃、控訴人夫婦に対し、家屋の登記は被控訴会社名義とし、いずれ控訴人名義に登記をする、税務対策上、その間現実に支払う必要はないが、家賃を給料から差し引く形にして毎月五、〇〇〇円貰う、一〇年で六〇万円となるから、残余(被控訴人野地が支出した建築費は八五万円)は贈与として処理する、又土地は、退職金で買い取る形で処理する旨を話したこと

(5)  以後被控訴会社の帳簿には、賃料として控訴人から毎月五、〇〇〇円の支払いを受けている形式で記帳されており、本件建物は、昭和四五年二月三日被控訴会社名義の保存登記を経由し、本件土地は、引続き被控訴人野地名義となっており、その後再三にわたり被控訴会社の債務担保のため抵当権設定登記がなされていること

以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

三、以上認定事実によれば、控訴人は、年季が明けたら暖簾分けをして貰える約定のもとに被控訴人野地の商店に一〇年の年季奉公として雇傭され、無事年季が明けた頃、同被控訴人の提案中暖簾分けの代りに家を建てて貰うことを選択して、その旨を同被控訴人に申し出たこと、同被控訴人は、右申出により本件土地に本件建物を建築し、建築完成とともに控訴人を入居させたのであるが、直ちに本件土地、建物を贈与することはせず、さらに一〇年間真面目に被控訴会社に勤務すれば、本件土地、建物を控訴人に贈与する旨申し出て、控訴人もこれを承諾したことが認められるのであって、これによれば、当初の年季が明けたならば暖簾分けをする契約を、改めて再度一〇年被控訴会社に勤続したならば、本件土地建物を贈与する旨の停止条件付贈与契約に切り替えたものとみるのが相当である。従って、昭和三八年五月二日控訴人は、被控訴人らから本件土地、建物の引渡しを受け、贈与により所有権を取得した旨の主張は理由がない。

被控訴人らは、家をやろうと言ったのは、控訴人を激励の意味でそれ位のことをしてやるつもりがあるといったまでで確定的な停止条件付の契約をしたものではないと主張するが、前記認定の事実に徴しても、さらに控訴人は、当初被控訴人野地の商店に、年季が明けたならば暖簾分けをして貰う約定のもとに給料の定めもなく雇傭され、その間小遣い程度の金を貰って勤務してきたのであって、年季明けとともにそれまでの勤務の報酬として当然暖簾分けを請求しうるにかかわらず、右権利を放棄して、被控訴人野地の好意にすがるほかなくなったものとみるべき合理的理由も見出せないから、右主張は理由がないものといわなければならない。

四、次に本件土地、建物の停止条件付贈与契約について、条件成就の有無につき判断する。

控訴人が本件建物の建築完成(昭和三八年五月)後一〇年間被控訴会社に勤務することなく、昭和四四年三月退職したことは当事者間に争いがない。控訴人は、右条件不成就は、被控訴人らが故意に成就を妨げたことによるものであるから、昭和四六年一二月一七日午前一〇時当審第三回口頭弁論期日において、同月一五日付準備書面に基づき、右条件が成就したものとみなす旨の意思表示をなし、これにより本件土地、建物の所有権を取得した旨主張する。≪証拠省略≫によれば、昭和四四年三月一一日、控訴人は、得意先に注文の品を届け、代金と伝票を店におき夕方六時頃帰宅したところ、夜八時頃被控訴人野地から電話があり、応待に出た控訴人の妻に、泥棒猫のようなまねをするな、明日からやめて貰うと言ったので、控訴人は、早速同被控訴人宅に赴き、控訴人の当日の行動を説明して解雇の理由につき説明を求めたが、同被控訴人は前言を繰り返えすのみで、それ以上解雇理由を説明しようとしなかったので、控訴人は、それまで一生被控訴会社に勤めるつもりでいたところ、主人からやめろと言われ、どうすることもできず、やむなく長らく世話になった旨の挨拶をして帰宅し、その翌日より出勤しなかったことが認められ、右認定を左右しうる証拠はない。してみれば、控訴人は、被控訴会社と合意のうえ退職したものではなく、被控訴会社側の理由により一方的に解雇されたものとみるのが相当である。被控訴人らは、控訴人は、被控訴人本人兼被控訴会社代表者からやめろと言われ、自らの非を認めて、これに同意して退職したと主張するけれども、前記認定の事実に徴するときは、右主張は採用できない。

そこで控訴人に対する解雇の理由については、被控訴人本人兼被控訴会社代表者は、原審及び当審において、解雇の二日前に従業員の一人が睡眠薬を飲んだので、病院に連れて行くべく、控訴人を捜し、夜中に控訴人宅にも電話したがいなかったので、又麻雀でもやって、朝帰えりで店に出てきて、怒られるから自分に会わずに帰えったと考えたからであって、解雇理由は、これに尽き、これ以外には特にない旨述べているが、右供述するところは、いずれも永年勤続した従業員を解雇する理由としては、納得し難いものといわねばならない。もっとも≪証拠省略≫によれば、

(1)  控訴人は、被控訴人野地から昭和四二年四月二二日夜、被控訴人宅において、同被控訴人に原稿を示され、このとおり書くように言われ、同日を期して麻雀、賭事を一切しない旨を誓約し、万一違反したときは、退職、売掛金に全責任を持つこと、社宅の一ヶ月以内の明渡しも異議はない旨の誓約書を書き、同被控訴会社あて提出したこと、なお、当日、控訴人の父豊(代理として弟豊一が出席)、同じく従兄弟で就職につき仲介した小林力は郷里の長野県から、妻の父石井喜雄のほか、同じく就職に関係した川橋角蔵も呼ばれてその席に立会い保証人として署名押印したこと

(2)  右誓約書が作られるに至ったのは、控訴人が被控訴人野地の再三の注意にもかかわらず、麻雀屋の近くに自動車をとめて麻雀をやり、同業者からも通報されることもあり、その一、二日前にも錦糸町の麻雀屋の近くに車をとめ、麻雀しているのを連れ戻されたこともあったので、控訴人を戒めるため、前記立会人の列席を求めてなされたものであること、

(3)  その後においても控訴人は、賭麻雀はしなかったが、麻雀屋に出入りしたことはあったこと

以上の事実が認められ、右認定を左右する証拠はない。以上認定事実のもとにおいては、被控訴人野地をはじめ関係者が、控訴人の将来を案じ、厳に戒しめる趣旨で、爾後控訴人に麻雀その他賭事一切を禁ずる旨の合意がなされたことは認めるに難くはないが、そうだからといって万一右禁を犯した場合には、退職する旨の合意までなされたものと認めるのは相当でないといわねばならない。仮りにそうでないとしても、控訴人が麻雀等のために被控訴会社の金を費い込んだ場合はともかく、単に麻雀あるいは賭け事をしただけで退職されても異議はない旨の誓約を、しかも使用者が殆んど一方的に従業員にさせることは、控訴人が被控訴会社に勤続し、あと数年勤務すれば条件が成就して本件土地、建物の贈与が受けられる条件付権利を有することを考え併せれば、右合意は信義則に反し、効力を有しないものと考えるのが相当である。

被控訴人らは、控訴人は被控訴会社の金六六八万一、三一九円を着服横領した疑いがあり、これも解雇理由となっている趣旨の主張をするが、控訴人が右の如き金員を着服横領したと認めるに足る証拠はない。もっとも原審における被控訴人本人兼被控訴会社代表者尋問の結果中には、前記誓約書作成当時においても、同人の担当した販売代金につき一五〇万ないし一六〇万円の未回収金があり、解雇当時においても帳簿上では費い込みの疑いがある金額があった旨の供述があり、又≪証拠省略≫によれば、右解雇後の調査により被控訴会社の売掛金の記帳と顧客の言い分とが一致しないもののあることが認められるけれども、これらをもってしても控訴人が被控訴人ら主張のような着服横領をしたことを認めるに足る証拠となすに足らない。

してみれば、被控訴会社は、さしたる理由もなくして控訴人を解雇したことに帰し、その行為は、信義則に反するものというべきであり、その際被控訴人らは、控訴人を解雇することにより条件が成就せず、従って本件土地、建物の贈与を免れる結果となることを充分認識していたものということができる。よって控訴人は本訴によって条件が成就したものとみなす旨の意思表示をすることにより、控訴人は、被控訴人らに対し、条件成就によって生ずる権利、即ち本件土地、建物の所有権を行使しうるものというべきである。

五、以上の次第であるから、控訴人が本件土地、建物の所有権に基づき被控訴人らに対し、それぞれ請求の趣旨記載の如き所有権移転登記手続を求める本訴請求は、いずれも理由があるから、これを認容すべく、控訴人に対し、所有権に基き本件建物の明渡しを求める被控訴会社の本訴請求は、理由がないから、棄却すべきである。

よって右と判断を異にする原判決は不当であって、本件控訴は理由があるから、民事訴訟法第三八六条第九六条第九三条第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石田哲一 裁判官 小林定人 関口文吉)

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